女子会にも向いている六本木という街

六本木とは東京都港区の地名の1つで、港区北部の高台に位置しているビジネス街兼繁華街です。
1丁目から7丁目まであり、南青山と赤坂、虎ノ門に麻布と接しています。
ただし東麻布とは接しておらず、少しややこしいです。
先述したように六本木ヒルズをはじめ、泉ガーデンなどビジネス街と繁華街の両面を持っており、国内でもトップクラスの華やかな街として知られていますが、同時に森美術館など静かで自然を感じられるスポットがあるのが特徴です。

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六本木という街の歴史

元々六本木は江戸時代、武家が住まう土地でありながらも寺院や神社が集まる門前町でした。
湧き水にも恵まれていたため、金魚の養殖が盛んでしたが、近代になってからは政府が軍事施設の場所として選ばれます。
それがきっかけでどんどん施設を利用する兵隊のための店舗が潤うようになり、兵隊の街になっていきました。
1936年に起きた二・二六事件の参加者である歩兵第三連隊があった場所でもあり、第二次世界大戦後に日本を占領したGHQの本拠地になったエリアでもあります。
現在のような街に変わっていったきっかけはGHQで、GHQの兵士のために外国人向けの飲食店や商店が設置されていったからです。
そこから徐々に外国人向けの店舗が発達していき、やがて訪れた高度経済成長期にはNETが開局されます。
1960年代には有名料理店が国内外のタレントを通じて知られるようになり、それと同時にクラブが開店していくようになりました。
繁華街になっていったのはこの時の成功がバッグボーンになっていますが、されに言えば1980年代に起こったバブル経済期によってディスコが立ち並んだ事も影響しています。
もっともディスコはバブル崩壊後、閉店が相次ぎ、現在ではカラオケ店やキャバクラになっている状態です。
現在はIT系のビジネス街の顔を持つようになっています。

六本木は意外と作品の題材にはされていない

そんな歴史があり、日本を代表する街でもある六本木ですが、意外と作品の題材にはされていないです。
研ナオコやフィリップ・セスなど多くのアーティストの楽曲の題材にはなっているものの、ドラマや映画の舞台となるとその数は片手で数える程度となっています。
ロケ地ともなれば尚更ですが、何事でもそうであるように例外はつきものです。
この場合における例外は2007年の映画「バブルでGO」が当てはまっており、実際に交差点やスクエアビル、1丁目の歩道橋でロケをしています。
勿論赤坂や横浜港など他にもロケ地はあるものの、ここまで明確にロケをした作品は中々ないです。
そんな「バブルでGO」の監督はAKB48のミュージックビデオ「翼はいらない」を手掛けた馬場康夫さんで、原作は国内のクリエイターグループであるホイチョイ・プロダクションズ、脚本は「太陽にほえろ」や「踊る大捜査線」など数々の有名な作品に貢献してきた君塚良一さんが担当しています。

2007年の映画「バブルでGO」の概要

2007年3月、日本と日本経済は今まさに財政破綻の危機を迎えようとしていましたが、そんな事は広末涼子が演じる田中真弓には関係がない話です。
彼女は母の葬儀に参列している最中で、人生の苦難に立たされていました。
母子家庭で育った真弓は寂しさから家を飛び出し、ホステスとして生活していたものの。
同棲相手に裏切られて借金を押し付けられてしまいます。
その額は200万円で、どうしようかと悩んでいた折に今度は母の自殺という最悪の知らせが訪れました。
海に飛び込んだという母は遺体が見つからず、空っぽの棺桶のまま葬儀は執り行われましたが、借金取りや謎の男が来て落ち着きません。
そのうち謎の男、阿部寛扮する財務省大臣官房経済政策課の下川路功は真弓に「お前の母親は死んでいない」と告げます。
下川は日本を救うために真弓の母親の力を借りてタイムマシンをつくり、それを使ってバブル崩壊を阻止しようと計画していたと告白し、同時に母親はそのタイムマシンで1990年の東京にタイムトラベルしたものの、消息を絶ってしまったと言いました。
半信半疑になりながらも、母親を探すために真弓もタイムトラベルをし、当時の日本に感動しつつ、母親の捜索と歴史の改変に挑むというストーリーです。

まとめ

バブル経済が題材となっている以上、六本木は確かにその舞台にふさわしいと言えます。
実際に「バブルでGO」の見どころは当時と現代のギャップで、特に現代では当たり前なアイテムである携帯電話がバブル経済期にはなかったため、当時の人々の連絡の仕方に衝撃を受けた観客がいたほどです。
とはいえ六本木の魅力は過去の栄光だけでなく、森美術館といったアクセスしやすい美術館やパブリックアートなどセンスを刺激される作品も挙げられます。
あとはディスコはないものの、外国人が遊びやすい街としてバーやクラブ、飲食店が他の街よりも多い事が特徴です。
バブル経済期と比較すればその勢いはないかもしれませんが、それでも進化を続けている街であるのは確かだと言えます。