夭逝した天才ジョッキー「後藤浩輝」

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「後藤浩輝さんの死因について知りたい」
「後藤浩輝さんのファンだった」

若くしてこの世を去ってしまった天才ジョッキー「後藤浩輝」さんをご存じでしょうか。
競馬好きの方ならもちろんですが、ジョッキーと並行してタレント活動もしていたので競馬を知らなくてもご存じの方も多いのではないでしょうか。

後藤浩輝さんの生い立ち

後藤浩輝さんは、1974年3月19日に神奈川県の横浜市で誕生しました。
料理が好きだったため将来は料理人になることを夢見ていましたが、母親からその小柄な体格を生かせる競馬の道に進むことを勧められました。
それまで競馬に関する興味や知識は全くなかったものの、競馬学校を受験したところ見事に合格してしまい競馬の道に進むことになりました。
競馬学校には中央と地方の2つがありますが何れも狭き門で、例年150人前後の入学希望者に対して合格者は10~15名前後となっていますから運動能力と学力のどちらも高かったことが分かります。
ただ、競馬学校に入るためには幼固い信念を持って入学する生徒が多い中、合格するまで乗馬もしたことがなかった後藤さんは、練習での落馬回数がトップになるなど競馬の世界に馴染むまでにはかなり時間がかかったようです。
1992年2月に競馬学校を卒業すると、茨城県の美浦村にある厩舎に所属してジョッキーデビューとなり、翌3月に行われたデビュー戦では16頭立ての6着という結果に終わりました。

中山競馬場第4競走で見事初勝利を収める

そして競馬学校の同期が次々に初勝利を挙げる中、後藤さんも4月4日の中山競馬場第4競走で見事初勝利を収めます。
これからのジョッキーとしての活躍に大きな期待がかかりましたが、しかしここから後藤さんにいくつもの試練が訪れます。
その初めは厩舎に所属する調教師との不仲でした。
期待されていたことの裏返しかもしれませんが、有名ジョッキーと同じレベルを求められ、歩き方を注意されたり勝てる馬には乗せないなどの仕打ちを受けたそうです。
後藤さんは数年間は我慢しましたが、フリーになることを決意して1995年に独立します。
この決断が功を奏したのか4年目にして初の21勝を挙げると、翌1996年にはアメリカに半年間の武者修行に出発し158戦7勝の成績を残しました。
帰国後に前年の21勝を大きく上回る46勝を挙げると、1998年には年間63勝を記録するなど成績は右肩上がりで将来を有望されるジョッキーとなりました。
しかし、1999年の8月に後輩騎手に対する暴行によって翌日のスポーツ新聞各紙のトップ記事となる不祥事を起こしてしまいます。

8月20日から12月19日までの4か月間に亘り騎乗停止の裁定が下る

JRAによる事情徴収の結果、8月20日から12月19日までの4か月間に亘り騎乗停止の裁定が下りましたが、これはこれまでに何らかの事件を起こしたジョッキーの中で最長の記録となってしまいました。
ただ、この騎乗停止期間が過ぎた後からは、また後藤さんの快進撃が始まります。
2000年委は複数のジョッキーと関東リーディングジョッキー争いを演じ、結果2位となるものの自身でも初となる年間100勝を達成、初めてのワールドスーパージョッキーズシリーズへの参戦を果たします。
2002年に念願のG1レース初勝利を挙げると2002年には2つ目のG1レース勝利を挙げ、2006年には3つ目のG1レースで勝利するなどまさに絶好調で、翌2007年は自身4度目の年間100勝を達成します。
しかし、2010年には4つ目のG1勝利を挙げるなど順風満帆なジョッキー生活の陰には「首のケガ」に悩む後藤さんの姿がありました。
以前から首の痛みに悩まされてはいましたが、決定打となったのが2012年の落馬がきっかけでした。

「頸椎骨折と頸髄不全損傷」と診断される

当初は頸椎捻挫とされていましたが、専門病院で診察を受けたところ「頸椎骨折と頸髄不全損傷」と診断されてしまいます。
懸命なリハビリの結果事故から4か月目に無事復帰を果たしますが、復帰当日のレースでまたも落馬して首を痛めると、今度は「第一、第二頸椎骨折と頭蓋骨亀裂骨折」と診断され再び入院となってしまいました。
そして1年後に復帰するものの2014年のレースでまた落下、再び頸椎を損傷し入院を余儀なくされました。
この時にはさすがに引退を考えたそうですが、ファンのエールに応え三度復活を果たし、2014年の復帰レースで勝利すると多くのファンから喜びの声が上がりました。
そんなジョッキーとスポーツ番組を中心としたタレント活動をするなどマルチに活躍していた後藤さんですが、2015年に競馬界に衝撃が走ります。
2月27日のことですが、茨城県阿見町の自宅で後藤さんが死亡しているのが発見されました。
自宅脱衣所で首をつった状態の後藤さんを発見した妻が119番通報をするものの、救急隊員が駆け付けたときには既に息を引き取っていたとされています。
事故ではないかとの見方もありましたが、警察によると事故や事件性はなく自殺との見解であったそうです。

まとめ

亡くなる前夜に更新したSNSには2000件を超える悲痛なコメントが寄せられるなど、ファンに愛された現役トップジョッキーの突然の死は大きな衝撃として世間に広まりました。
競馬界にとっても大きな損失となってしまいましたが、後藤浩輝さんには安らかに眠ってほしいものですね。

 

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